「小町風伝」の少尉役

「小町風伝」の少尉は小町が蓄音機にかけた「バラ色の人生」にのって登場します。小町の幻想=思い出の中の恋人なわけです。私は小町を恋焦がれる思いを胸に、舞台に現れます。と、私の目の先、2メートルの所に小町がいます。私に背を向けて、「バラ色の人生」に思いも体も浸らせて、私の前をゆっくりとたゆたうように歩いているのです。私は小町の後をついて歩き始めます。これは小町と私の逢引なのです。それも現実の逢引ではなく、私にとっても幻想の。

というのも、私が演じる海軍少尉の役は深草の少将の現代版なので、小町と現実には会うことのないまま百夜小町のもとへ通ったという謡曲の設定を受け継いでいます。したがってここでの私は、小町を思いながら、つまり小町との逢引を想像しながら小町のもとへ通う少尉なのです。そのように小町のことを思いながら小町のもとへ通う少尉を年老いた小町が思い出の中に蘇らせている、というのがこの場面なわけです。したがって私にとっては、私の前を行く小町は私の思いの中の小町なわけです。そして私には声に出すべき台詞が与えられていません。ここでもし、私に台詞があったらどうなるか、ちょっと考えてみます。

たとえば「小町さん!」と呼びかけたとします。それを聞いて、小町は立ち止まる。再び私は呼びかける。「小町さん!」小町は振り返る。小町と少尉はお互いを見る。しばしの間の後、少尉が小町の側に寄る。小町の手を取る。……これも一つの夢の形かもしれません。あるいはこんなことも起こり得ます。……「小町さん!」と呼びかけたのにもかかわらず、小町さんは立ち止まって振り返ろうともしません。私はさらに声を大きくして「小町さん!!」と呼びかける。それでも小町は歩き続ける。私は気が狂わんばかりになって小町に追いすがり……これもあり得ることですよね。つまり私が言いたいことはこういうことです、台詞が語られるというのは、ある現実的な行為に役者を導くことであると。ところが私には台詞がありません。このことをこの文脈で考えると、「小町風伝」の中では少尉という役は小町に現実的な行為を働きかけることができない役として設定されている、ということになるのです。

再び実際の舞台に戻ります。私の二メートル前を小町が歩きます。私はその後について歩き始めます。一息ごとに、小町の匂いを嗅ぎながら。…私の役は台詞がないことで、小町に具体的に働きかけることを禁じられているのです。それでも小町への思いは一足ごとに強くならなければならないのです。それをどのように演じたらいいのか…私は一息ごとに濃くなる小町の匂いを感じようとすることで、この場面の少尉を演じてみました。もちろん実際に小町の体臭が匂ってくるわけではありません。あくまでも幻想の中で小町の匂いが膨れあがって、自分を取り巻いて、その中で小町がどんな顔かたちだったか、あるいはどのような声だったかも思い出せなくなるほどに、我をも忘れかけて小町を思う少尉を演じてみたのです。前回に書いた「更新する現在」とはこういうことです。小町を匂いで感じること。その感覚が一息ごとに強くなる、その匂いの中に歩み入ることで、小町を巡る迷い道に踏み込んでいくかのような自分を意識すること。一息ごとに強くなる小町の匂いを、役者として一息ごとに新鮮に感じ続けようとすること、更新する現在とはこのことを意味します。

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中途半端な日々

中途半端

その① ドストエフスキーの「悪霊」を読みかけているのですが、もうひと月以上、読みかけのままになっています。滅茶苦茶面白いけれど、今は読み続ける余裕なし。物語は佳境に入りつつあるのに、いつになったら先が読めるのか…

その② 新作の台本。K出版社の社長氏からの申し入れで既に題名が決定。主人公は中学校の教師という設定でいくことに決定。実際の「先生」にも何人か取材させていただいて、と目論んでいるのですが、公演時期が再来年秋になりそうで、ちょっと小休止。

その③ ならばと、来年の6月に小川国夫氏の「アポロンの島」のリーディングを企画。ちょっとワクワクしてきたところ、どうも会場がままならず、再来年の2月ごろに延期になるもよう…う~ん…

その④ そんなところに、岩手で劇団活動をされているK氏から、「水の花」の岩手公演のお誘いがかかる。わざわざ東京まで先日の公演を見に来てくださり、「40代~50代という、最も演劇鑑賞年齢から遠い世代が共感できる、マレな舞台だった…」との手紙を添えて、誘ってくださっている。行きたいのは山々ですが、私たちにも生活という重い足枷があって…これも再来年をめどに、仙台公演も視野に入れてなんとか実現させたいのですが…

というわけで、今はとにかく稽古が進んでいる横浜青葉区小・中・高生ミュージカルに集中しなさい!ということと受け止めることにいたしました。

ミュージカルの本番は2009年1月24・25の両日です。

興味のある方は是非!

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あらためて勇気を!

昨年の公演「孤独な老婦人に気をつけて」もさまざまな反応がありましたが…(シアターアーツから上演台本掲載の申し出があったり、同誌上でE氏が昨年のベスト舞台の一つにえらんでくださり、またベストアーティストの一人に私の名前を挙げてくださったり)…今年の「水の花」は規模が小さかったのに、それでもいろいろな反応がございました。

その一つ…次回作のタイトルがどうやら決まりそうなのです。というのも、K社という出版社の社長氏がその会社で出版している熟年離婚をテーマした本を素材に新作を書いてみないか、と提案してくださったのです。早速本が送られてきて、読んでみると…いや、面白いですよ、たしかに熟年離婚の話はしょっちゅう聞かされますし、といいますか、今や離婚は日常茶飯事、こういう仕事で小学生中学生と関わっていますと、急に姓が変わる子どもはちっとも珍しいことではありませんし…そうだ!主人公を中学校の教師にして新作が書けないだろうか…荒れる学校の手がつけられない生徒の一人が親の離婚にその原因があり、その生徒たちを相手に悪戦苦闘している教師の家も、実は目下離婚の危機に直面していて…という設定で書いてみようかと…「水の花」ではザ・タイガースの音楽を使いましたが、次回作ではサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」がテーマミュージックになりそうで…と構想は広がりつつあり…こうなったら実際の中学校の先生に取材をしてみたいなあ…と思っております。

もう一つ。「水の花」のDVD、思ったより注文があります。思ってみれば、いつもいつも「いいものを創ろう」とばかり考えていて、創ったものを、あるいは自分たちを売ろうという発想は皆無だったなあと…そういう意味ではDVDの発売を勧めて下さった方々に感謝です。本番を三回も撮影して編集に当たってくださった映像作家のMさんも、「これだけつき合っていると、台詞まで覚えちゃいそう」と仰りながら「面白い作品ですよね。違う役者さんがやったら、また違う味の舞台になるんでしょうね」などと、書き手としては非常に嬉しいことを言ってくださいました。

そのDVDを自分見たおかげで、この作品はいずれ改訂版で再演をしようと決めました。なにせ演出の私が主役といいますか出ずっぱりでしたからね、分らなかったこともいろいろあって…でもこれ、ちょっと手直しをすると、本当の意味で珠玉の舞台、といっていいものになると確信しました。そういえば、感想を送ってくださる方もいましたし、どなたかのブログで「静かな秀作」と評されましたし、いろいろ話題にもなったようで…あらためて勇気をいただきました。

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ようやく終わった、というか、いつものことなのですが、始まってみたら、あっという間に終わっていたといいますか…U・フィールド公演No.26「水の花」…うーん、いつの間にか26回を数えていたのですね。No.1「グレー」の時には現在中学2年の息子はまだ影も形もなかったわけですから…あれが1990年の5月のはずだから…あれから18年かあ…

…転形劇場がなくなった今、ほかにやりたい劇もないし入ってみたい劇団もないんだから、とにかく集まって稽古をやってみようや…と転形劇場に同時期に入団した連中を中心に週に2~3回集まっていたかしら…そこでやっていた即興の稽古が面白くて、それを核にオリジナルの台本を作って公演を打ってみようか…ということになって~♪これっきり これっきり これっきり♪~なんて山口百恵さんの歌があったけれども、一回こっきりでもかまわない、とにかくやってみようということで…

「クソッタレ クソッタレ クソッタレ!」という言葉が台本の最初の言葉。転形劇場と大田省吾さんの呪縛から自らを解き放つためのおまじないだったのかもしれませんね、この「クソッタレ」は…私は舞台裏で自分の出番を待ちながら、劇の進行に、お客様の反応に全神経を集中していたと思います。そして30分が過ぎて自分の出番がやってきて…これはダメだな、あまりにも静かな客席の様子に私は覚悟を決めたものでした。とにかく全力を尽くしたのだから後悔はないはずだ、と自分に言い聞かせて舞台に上って…それから5分後、客席には笑いの渦が巻き起こっていたのでした。終演後、いろいろな方から祝福を受け、「これから先が楽しみだなあ…」と心からの激励を受け、そして励んできたつもりだったのに…

あれから18年かあ…ある程度の評価を受けたこともあるし、見に来てくれた太田さんから「こういった劇の作り方は世界に通じる可能性を持っている」などと言っていただいた時もあったのに…決定的な作品を創り出せないまま18年がすぎてしまい…昨年の七月に太田さんは亡くなった…

私は自分の原点に帰ろうと思った。役者に復帰しようと。舞台に立つ、ということは、世界と向き合うことです。世界の中にたたずむことです。世界の中の小さな一点にすぎない自分を、極小の一点ではあるが、まぎれもない自分を確認することです。他者の目を通して自分の小ささを微小さを、しかし微小ではあっても他とは違う自分を確認すること、そのためにこそ、私は舞台に立つのです、自分の体を意識して、呼吸を意識して、視線を意識して、姿勢を、手の位置を、足の運びを意識して…そのようにして私は今回も「水の花」の舞台に立ちました。

開演時間になると、鳥のさえずりが聞こえてきます。水の流れる音も聞こえてきます。遠くで子どもたちが遊んでいるような声も聞こえてきます。舞台には緑の蔦草がからまり、ところどころに小さな菊が群れて咲いていたりして…そこへ私が歩み出ます。懐かしい公園を歩く気持ち。目には緑が優しくて、木々の香りも漂うようで…ここでずいぶん遊んだんだよなあ…という言葉も意識のうちを横切っていったり…そのようにして舞台の中の公園に歩み入っていくとき、私の意識の産物でしかない公園が、劇を見ている観客の皆さんにも感じられてくるのです。「舞台の上の私の体」を通して、私の意識と観客の意識が出会い、合流していく。他とは違う自分が、劇を見る観客一人ひとりの意識の中に息づき始める…

「水の花」多くの賛辞もいただきました。また同時にまだまだ至らない点の指摘もいただきました。それらを励みに、また歩き始めてまいります、新たな舞台と、そして観客の皆さんとの新たな出会いを求めて。

2008年 9月17日

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同時進行

今年一番の山場は9月9日~14日のU・フィールド公演「水の花」であることは間違いありません。さあ、それに向かって集中!…と、いきたいところですが、来年一月末に再出発公演が決まった横浜青葉区の小・中・高生ミュージカルの準備が始まっており、なんといっても制作者がいない集まりですから、スタッフの人集めから私自身も動かなくてはいけないし、また4月から新学期がスタートし、去年までの戯曲演習に、新しく身体論ワークショップなる授業がプラスされ、学生との出会いが広がるのはそれで楽しいものの、準備は2倍かかるし、一昔前の自分だったら、とうに爆発しているだろう忙しさなのに、最近はどうも忙しい中で人と会うのが楽しみになってきていて、それが創作にも刺激を与えてくれているようなので…それにしても目が回る。

U・フィールドの目下の仕事はチラシ作り。表のデザインが出来上がってきたので、今日は裏面に載る文章などを考えなければいけなかったのに、つい昨日あった授業のことを考えたり、三月の末にあった、ミュージカルのワークショップメンバーによる小公演のことを思ったり…そこでね、こんど6年生になった女の子が初めてソロで歌ったんですよ。それが嬉しいビックリでね、いいのですよね、「へえー!」初めて練習で彼女のソロを聞いたときは、正直驚きました。3年生の時から知っている彼女ですが、歌は合唱でしか聞いてなかったからなあ…このワークショップを企画して実現してくださっている、かめおかさんに大感謝です。その小公演、仕事が重なっていて見に行けなかったので、今日、いただいたDVDを見てみたのです。「つながる つながる すべては つながる…」(かめおかゆみこ詞・金子忍作曲)…声は伸びやかで、ふくよかな響きがあって…彼女の歌声はやはり最近の新発見、来年のミュージカルの楽しみが一つ増えました。

さて、チラシの文章、あしたこそ、と念じつつ、今日はそろそろおやすみなさい。

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普通になること その1

演劇を通して初めて子どもたちと接したのは2001年、第一回青葉区小・中・高生ミュージカル「手古奈」の演出を引き受けた時でした。「井上がミュージカル?!」おそらくそれまでの演劇仲間は半信半疑だったと思いますが、こっちは何しろ演劇で少しでもお金にしたいわけですから、必死です。なんてったってミュージカル、予算のすごいこと、聞いて驚くぞ、80万!…誤記ではありません。たったの80万。舞台装置は、前回紹介した横浜のM先生が顧問を勤めるY中学が、中学生の演劇大会で「手古奈」を上演した際の舞台装置をほぼそのまま使って、節約節約!という状況でしたが、とにかくいろいろな方々にお手伝いいただき、それが最初で、以来、毎年続くようになったのですから(予算はもう少し膨らませていただきましたが)…とにかく踏ん張った甲斐があったわけですが…

その時に中学2年生だったNさんのことは忘れられません。M先生が…「あの子は教室に出て行けないので、保健室登校をしてるんですよ」…と教えてくれます。心の中で「へーっ!」と驚きます。そういわれてみると口数はたしかに少ないかもしれませんが、こちらを見つめる真摯で大きいつぶらな瞳といい、歌を歌う時のこれまた大きく開いた口といい、ミュージカルの現場(練習場)ではあんなに生き生きしている彼女がねえ、うーん!…

彼女には、兵士の役をやってもらいました。6人いる兵士の一人。台詞もけっして多くはありませんが、言ってもらいました。踊りも、これは戦いの踊りですから、かなり激しい踊りを、一生懸命踊っていました。そして、歌を歌う時の大きく開いた口と、あの見開かれた大きなつぶらな瞳!…本番が終わって、M先生を補佐してくださっていたG先生がニコニコ顔をほころばせて私に教えてくれるんです。「他の先生たちが舞台のNを見て驚いていますよ!あの子のあんな顔、見たことないって!!」…じつは私も驚いていたんです。いえ、舞台の彼女にではありません。当日は会場のロビーに出演者たちの顔写真が一人一人張り出されていたのですが、多少ははにかんで写っている子もいますが、殆どが稽古場で知っている顔顔が並ぶ中で、Nさんの写真だけが、まるで普段の彼女ではないのです。レンズから顔をそらしたいのにそらせないで、なんとかこらえて写っている写真、「えっ、これがNさん!?」唖然としました。もしかしたら、学校にいるときの彼女はこういう感じなのかしら…つまりこういうことなのです。学校の先生たちは舞台の彼女の生き生きとした姿を見て驚き、感動し、私は、ミュージカルの彼女とはまるで別人の写真を見て驚いていた、ということなのです。…そしてこのミュージカルをきっかけに、彼女は変わっていきます。普通の生徒へと時間をかけて変貌していくのですが、それは次回に。

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