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初めてブログに文章を出してから、いつの間にか二週間が過ぎてしまいました。(なんという早さだろう。年とともにそうなることは自分自身のこととしても知っているし、人からもしじゅう聞かされるし、了解済みのはずなのに、それにしても早い、早過ぎる、まるでジェットコースターに乗ってるみたいに日々が目の前に翻っては飛び去っていく。いったいどこまでスピードを上げつづけるのだろう…とここまで書いて、思いが急停車した。いよいよ、いよいよ「老い」という未知のゾーンに突入しかけているのだろうか、(11月に右膝を痛め、かばっているうちに腰痛に襲われ、直ったと思っていたら1月に腰痛を再発させ、おさまりかけたら不整脈に遭遇し動脈硬化を指摘され、ウワオー)、いよいよ老いという未知のゾーンに突入しかけているのだろうか、恐ろしいほどゾクゾクワクワク、不安も一緒にゾクゾクワクワク、震えるような、恐いような、嬉しいような、いや、タマラナイ!
「次回はUフィールドの新作『Uフィールド版 孤独な老婦人に気をつけて』の作者であるマテイ・ヴィスニユック(前回はヴィスヌユックと書きましたが、今回から以後、ヴィスニユックで通します)氏との出会いを書きます。」と公言したにもかかわらず、今回は目下稽古中の『金色夜叉』について書いてみよう、と思い立ちました。
『金色夜叉』(小説。尾崎紅葉作。1897年(明治30)以降読売新聞に連載。未完。富のために許婚の鴫沢宮
を富山唯継に奪われた間貫一
が高利貸しになり、金力で宮や世間に復讐しようとする。のち脚色されて新派の当り狂言となる。―広辞苑―)
まさか、この自分が『金色夜叉』を演出することになろうとは!?「今月今夜のこの月を、俺の涙で曇らせてーッ(と、ここで思い入れ)あッ(と、一息飲んで)見せるからー(と見得を切るごとく)」と書いただけで、芝居がかった、大仰な、いやいやたまらん、だから芝居はいやなんだ、わざとらしくて見ちゃいられねえ!…と感じていたかつての自分がまざまざと浮かんできます。それがどうして演出など引き受けるはめに?
もう一年以上前になりますが、Uフィールドメンバーの武内紀子が初めて自分で企画して語りの会を催しました。その演目が『金色夜叉』だったのです。三十人も入れば超満員
の喫茶店を借り切っての公演、と呼ぶには余りにささやかなその催しは、しかし、私には構成が面白く、へーっ、金色夜叉ってこんな部分もあったんだ、と興味も引かれたし、それと同時に、役者のくせに目立つことの苦手な彼女が自分で企画し台本を構成し、と新たな分野に挑戦し始めたと知った意味でも嬉しい事だったわけです。さらにおかげで関根絹世さんという語りのエキスパートと出会い、関根さんが主催する語りの会『和音(わおん)』の中で寺山修司の作品を演出させてもらったり、Uフィールド公演『ストールン』に出演していただいたりと…ここまで書いて、あのささやかな発表会がずいぶんいろいろな可能性を引きずり出してくれたもんだなあ…と感心しつつ…しかし、ご存知でした?「ダイヤモンドに目がくらみ(小説にはこの台詞ないんですね、おそらく脚色で加わったものかと)」とはいうけれども、いくらなんでもそれだけの理由じゃないでしょう、宮が貫一を袖にしたのは、きっと言うに言われぬ事情というのがあったんだろうなあ、という私の常識人的人間観をものの見事に打ち砕いて、ほかに理由は無かったのだ、という事実を!
これがね、理由がこれだからね、これだからこそ、『金色夜叉』は面白いみたいなんですよ。だって、これはまさしく不条理ですよ。貫一にとってはもちろん、宮にとっても、あの時どうして心変わりをしてしまったのか、生涯後悔しながら、それでも自分自身をさえ納得させる理由が見いだせないなんて!
とにかく、お時間のある方は是非観にいらしてくださいませ。ホームページのメッセージボードの欄、2月4日の投稿に詳しい情報が載っています。
なんとなく知っていて大仰で古臭いと片づけてしまっていたお話を、切り口を変えてみるだけで、可笑
しくて、哀しくて、苦しくて、観る者をドキドキさせる人間ドラマに変身させるとは!そこに「語り」という表現ジャンルの醍醐味がある、とさえ思うようになりつつあります。
関根絹世さんは、実に芝居心のある、芝居心を大切にされる語り手です。だからこそ、語りながらふと目を伏せる、ふと視線を上げて正面を見据える、といった何気ない所作のうちに、その瞬間に演じている登場人物の思いが…ふわっと…行間に滲みだし舞台空間を浮遊するが如くに漂いはじめるのです。と、次の瞬間、登場人物から離れつつ客観的な地の文章が語られだすと、漂い始めた主人公の思いはさらに色濃く会場内に立ち込めて、観る者聞く者の心にまでじっと染み入るのです。この主観と客観の交代の機微、混ざり具合の妙が関根語りの独特な色っぽさ艶っぽさを醸しだすのですが、『金色夜叉』では、それが三人の語り手(関根・染谷・武内)の主観と客観の錯綜として現われるのですから、それがいったいどんなものかは……是非舞台を御覧ください、としか言いようがございません。
そして、この機微この妙はUフィールドの舞台づくりに通じるものがあるとはっきり感じているのですが……。
さてさて、こうやってここまで書き進んでみると、人と出会える、ということはやっぱり面白いなあ、とつくづく感じます。マテイ・ヴィスニユック作『uフィールド版 孤独な老婦人に気をつけて』ではどんな出会いが訪れるのか?まずは翻訳者の山田ひろ美さんとの出会いがあり、できたてほやほやの日本語への翻訳第一稿との出会いがあり、日本を訪れたマテイさんとの出会いがあり、テアトルフォンテとの出会いがあり、4月に入れば、まだ未知のワークショップ参加者との出会いがありetc.etc…何ものかとの出会いを新鮮に受けとめられる限り、老いというのもエキサイティングでありつづけるのかもしれませんね。「何かにね、驚くっていうのが大事なんだよね。ちょっとしたことでもね、ほんの少しでも驚いてると、お芝居も生き生きしてくるんだよね」よく中学生の演劇大会などで言うことなんだけれど、今日はその言葉を自分に向けて言うことで締めくくりたいと思います。
また、次回に。
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