ジャンガストの視線
一昨日(5月2日)立教のワークショップで<見るー見られる>というエチュードをやったせいかしら、その日の深夜、台所で食器の片付けをしていると、急にジャンガストという人名が浮かんできました。小川国夫の小説に登場する人物の名前です。舞台はフランスの田舎町(だと思う…)の酒場。そこで主人公の浩をじっと見つめている男がジャンガスト。背が大きく、ボクサー上がりで、きっと顔は少しつぶれたところがあるのかしら…、そのジャンガストがカウンターでコニャックを飲みながら、じっと浩を見つめている。やがて、ジャンガストは浩のテーブルまでやってくると、立ったままじっと浩を見下ろすことになる。
<浩はそれに気がついたが、そのまま新聞を読んでいた。…(中略)…酒場は静まり返った。浩は自分達が酒場の中心になったことを感じていた。>
一触即発の緊迫した場面である。荒々しい言葉は一つもないのに、暴力の予感で満ちている。一方的に見ているジャンガスト 対 一方的に見られている浩。
結局暴力沙汰は起こらずに、二人は言葉を交わす関係になっていくのだが、そこでもまた<見る><見られる>という関係の中で再び静かな対決がある。
「ヴィエトナム人かね……」「いや、日本人です」「ヴィエトナム人と日本人はどう違うかね……」「さあ……ヴィエトナム人の方が花車のようだな……」「そうかね……あんたも細い手をしている」「日本にいれば細い手じゃない」と浩は自分の手を見ないで、いった。ジャンガストは、テーブルの上に置かれた、浩の手を見ていた。浩は、自分の手を動かさないように、怺(こら)えていた。
やがてジャンガストの妻がヴィエトナム人の男に奪われたことが語られ、さらに6歳だった一人娘を海で失ったことが語られて、短い小説は終わるのだが…
食器の片づけを終えると、私は急いで二階へ上がった。本棚からこの短編が収められた「アポロンの島」を抜き取り、声を殺して読んでみた。急に小川国夫の小説が語りたくなったのだ。ジャンガストの話は「貝の声」、さらに「枯木」「エリコへ下る道」と声を殺して読んでみた。…面白い。これは語ってみたい。観客の前で語ってみたい。以前、ある方から「語り」を勧められたことがある。彼女はカミユの「異邦人」なんかいいんじゃないかなあ…と言ってくれたのだが、うーん…、と決めかねていた。しかし、このとき、「これだ、小川国夫だ!」と思った。
彼の作品には人間の体が顕わになる瞬間があるのです。そこを語りながら演じてみたい。それこそ、役者井上にとってもっとも関心のあるテーマじゃないか。是非実現させてみたいと思っています。どうぞご期待ください。
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