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こっぱずかしい!

昨日、9月公演「水の花」の初稽古があり、出演者3名が集まっての初読み合わせ。演出は私だから本当に3人だけの稽古場。ちょっとさびしい気もしますが、それだけ言いたいことを言って、やりたいようにチャレンジできる場にしよう、そういう他の2人の心意気?…みたいなものが感じられて、ちょっと勇気がわいてきましたが…

ここのところ時間があると、図書館から借りてきたジャン・ジュネの「恋する虜(とりこ)-パレスチナへの旅」を読んでいます。ジュネが死んだのが1986年ですから、それからだって20年が過ぎているのに、パレスチナ問題は未だに解決されず、今日の新聞にも「希望が持てないパレスチナの若者たち」というような見出しの記事が載っていました。明日の5月15日がイスラエルの建国の日=中東戦争が始まった日であり、パレスチナの人々が国を奪われた日だからなのでしょう。しかし、今回の芝居「水の花」はそんなパレスチナのこととは無縁です。イラクでは戦争が続いているし、中国ではチベットを含む少数民族の人たちが自治を認められずに苦しんでいるかもしれませんが、そういうこととも無縁です。日本では硫化水素自殺が相次ぎ、いったいこれはどういうことなんだ、そんなに生きてることに希望が見出せない社会になりつつあるのか…と背筋が寒くなる思いがしますが、そんなこととも無縁で…同窓会帰りの二人の男、56歳の二人の男の中学時代の劇(宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」)の思い出や初恋の相手である荒川ミユキとの思い出が語られ…ああ、こんな芝居に意味があるのだろうか?中年男のノスタルジーじゃあないのか、金を貰って見せる価値があるのか、俺はバカなんじゃないのか、いや、作家としての力量が絶対的に不足してるんじゃないだろうか…等々…次から次へと疑問が押し寄せ、じっさい恥ずかしくってしょうがないのですが、それでもこの劇を3人で稽古します。そして上演します。パレスチナやイラクや中国や日本のいろいろなことに目を向けているように思っている自分もいることはいますが、こんなことしか考えてない自分だって自分なんだもの、もしかしたらこの恥ずかしい自分こそ、いちばん自分らしい自分かもしれない、いや、きっとそうなんだよ、だから演じる自分に当てて書いたのが今回の台本で、つまり自分への当て書きなんだよね、くっそ、もっとかっこいいやつ書ければいいのに、よりによってかっこ悪いしなア…

ジュネの本は明日で貸し出し期限が切れるので、まだ三分の一しか読めてないけど(彼の本は時間が掛かるう!)、図書館に返します。ここからは台詞も覚えないといけないし、役者に集中していきます。今回の芝居は体を意識して書いたつもりです。それはどういうことなのか、稽古しながら考えていきたいと思っています。このブログもあまり書けなくなるかもしれません。でも、応援してください。是非、いい舞台にしたいと思います。恥ずかしいけれど、これが今の自分だとしたら、その飾らない自分を是非見てください。

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ジャンガストの視線

一昨日(5月2日)立教のワークショップで<見るー見られる>というエチュードをやったせいかしら、その日の深夜、台所で食器の片付けをしていると、急にジャンガストという人名が浮かんできました。小川国夫の小説に登場する人物の名前です。舞台はフランスの田舎町(だと思う…)の酒場。そこで主人公の浩をじっと見つめている男がジャンガスト。背が大きく、ボクサー上がりで、きっと顔は少しつぶれたところがあるのかしら…、そのジャンガストがカウンターでコニャックを飲みながら、じっと浩を見つめている。やがて、ジャンガストは浩のテーブルまでやってくると、立ったままじっと浩を見下ろすことになる。

<浩はそれに気がついたが、そのまま新聞を読んでいた。…(中略)…酒場は静まり返った。浩は自分達が酒場の中心になったことを感じていた。>

一触即発の緊迫した場面である。荒々しい言葉は一つもないのに、暴力の予感で満ちている。一方的に見ているジャンガスト 対 一方的に見られている浩。

結局暴力沙汰は起こらずに、二人は言葉を交わす関係になっていくのだが、そこでもまた<見る><見られる>という関係の中で再び静かな対決がある。

「ヴィエトナム人かね……」「いや、日本人です」「ヴィエトナム人と日本人はどう違うかね……」「さあ……ヴィエトナム人の方が花車のようだな……」「そうかね……あんたも細い手をしている」「日本にいれば細い手じゃない」と浩は自分の手を見ないで、いった。ジャンガストは、テーブルの上に置かれた、浩の手を見ていた。浩は、自分の手を動かさないように、怺(こら)えていた。

やがてジャンガストの妻がヴィエトナム人の男に奪われたことが語られ、さらに6歳だった一人娘を海で失ったことが語られて、短い小説は終わるのだが…

食器の片づけを終えると、私は急いで二階へ上がった。本棚からこの短編が収められた「アポロンの島」を抜き取り、声を殺して読んでみた。急に小川国夫の小説が語りたくなったのだ。ジャンガストの話は「貝の声」、さらに「枯木」「エリコへ下る道」と声を殺して読んでみた。…面白い。これは語ってみたい。観客の前で語ってみたい。以前、ある方から「語り」を勧められたことがある。彼女はカミユの「異邦人」なんかいいんじゃないかなあ…と言ってくれたのだが、うーん…、と決めかねていた。しかし、このとき、「これだ、小川国夫だ!」と思った。

彼の作品には人間の体が顕わになる瞬間があるのです。そこを語りながら演じてみたい。それこそ、役者井上にとってもっとも関心のあるテーマじゃないか。是非実現させてみたいと思っています。どうぞご期待ください。

 

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