意識のダンス
昨年、先生だった大田省吾さんが亡くなられたあと、転形劇場で創った「水の駅」と「やじるし」の舞台がつくずく懐かしくなり、また自分にとってかけがえのない経験であったことがよく分り、再び舞台に立ってみたいなあ…、とは思っていたのですが、いちおうは劇団を主宰しメンバーのために台本も書かねばならない立場であるため、さてどうなるものやら…と思っていたのが、たまたま退団する人や、休団する人が出たおかげで自分が舞台に立たざるを得なくなり、まあ、今回の「水の花」は自分が舞台に立つ事を前提に、つまりは自分に対する当て書きになったわけですが…
昨年の「孤独な老婦人に気をつけて」の大佐役は5年ぶりの舞台でしたが、それ以後、三回出演依頼が舞い込みました。台本執筆と「水の花」の稽古とダブルために二回はお断りしましたが(役者としてはちょっと残念)、三回目のお話はドラマ・リーディングへの出演で、稽古回数も少なく、「水の花」の稽古と重なってもなんとかこなせると思い、お引き受けすることになりました。劇団「劇作家」という、劇作の勉強をしている方たちの集まりが主催するドラマ・リーディング、台本が届くのを楽しみにしています。
ところで転形劇場時代、太田さんはよく「意識する」という言葉を多用されました。舞台に立つ時、その人間が何を意識するか、ということです。舞台に立つ俳優というのは、あとで思い返してみるとよく分裂しないものだなあ、と我ながら感心したくなるほど、様々なことを意識に上(のぼ)せて処理しています。例えば、自分の姿格好、腕の位置、手の置き所、歩く所作、そして目は何を見ているか、その時自分は何を聞いているか、客から自分が見える位置にいるか、言葉が慌てないできちっと発語できているか、声量は十分か…(数え上げたらさらに続いて限りなし)…その合間を縫って、自分の感情=役の感情がどう動いていくかを見守りながらコントロールしていく。私はある頃から、劇はもっと意識のダンスであっていい、と思うようになってきました。転形劇場の舞台でも、「やじるし」で私が演じた<笑い男>のシーンなどはそうだったように思うのですが、それをもっと意識的に押し進めてみたい。それを一つの目標にして書いたのが今回の「水の花」です。自分でも稽古が楽しみで、怖くて、今からワクワクしております。
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