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すぐ側にある別世界 2

インスタント盲人体験のワークショップの最後に、こんなことを話してみました。現在中学2年の息子が3~4歳くらいだったかしら…

当時、彼は保育園に通っていて、朝は女房が保育園に送っていくのですが、帰りは、劇の稽古などがあるとおじいちゃん(私の父)にお迎えをお願いしていました。80歳での初孫、それはそれは可愛がってくれていて、お迎えも苦にせずしてくれたので私たちには大助かりでしたが、一つだけ困ったことがありました。おじいちゃんがお迎えに行くと、必ず玩具(おもちゃ)が増えるのです。帰り道の途中にマルエツがあって、そこできまってねだられるわけです。それで、おじいちゃんに「玩具は買わないで」とお願いし、「うん、分った」と言ってくれるのですが、それでも玩具は増えるばかり、「困るんだよ」と言うと、「いや、こっちも困っちゃうんだよ、玩具の前で動かないんだから」…

子育てで知ることはけっこうあるもので、私たち大人と、幼児ではスーパーマーケットは全然違う顔を見せるのです。その典型が幼児向けの玩具。ああいったものは、幼児の目線の高さに配置されているんですよね。ですから、大人に手を引かれてスーパーの店内を歩くことは、幼児にとっては玩具の誘惑を受け続けることになるんですよね。大人は晩ご飯のおかずは何にしようかなあ…と、ひき肉や鶏肉を眺めながら歩いているのに、子どもはウルトラマンや怪獣のフィギュアやポケモンやアンパンマングッズの林の中を歩いていたりするわけです。つまり大人と幼児とでは、スーパーマーケットが全く違う世界として体験されている、ということになります。さらに子どもによって、ウルトラマンに強く引かれる子と、仮面ライダーに夢中な子では世界が異なってくるでしょうし…このことを押し進めて考えていくと、現実の世界は一つでも、体験される世界は、そこに人が十人いれば十の世界体験が、百人いれば、百の世界体験がある。ということは、千人いればそこには千の世界がある、と言えるのではないでしょうかと…

つまり、私たちとは一人一人が別世界に暮らす者たちの集まりではないのか…と。

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すぐ側にある別世界

<感じる>ということについて、最近の体験から。

先日、立教のワークショップでインスタントの盲人体験をしてみました。二人一組になって、一方は目をつぶり、一方が手を取って散歩のようなことをしたわけですが、室内から外へ出た瞬間、私が手を引いていた学生のSU君が思わず、「おっ、おっ…」と声を発します。どうしたのかなと思っていると「陽の光ってすごいんですねえ…」と言うのです。十数分後には、今度は私がにわか盲人になって手を引かれたのですが、そう、4月末の太陽の光は、私の瞼の裏を真っ赤に染め上げてくれました。それで、しばらくする散歩を続けると、すぐ側で犬が「ウッ…ウッ…」と唸るのです。なんで犬がキャンパスに…?まさか俺を襲ったりしないだろうなあ…などとちょっと怯えていると、同じ所から「ナニ?」と呟く声が聞こえます。ああ、これは犬じゃなくて、ワークショップでにわか盲人を体験しているSI君が何かに触れて発していた声だと知りました。SU君が陽の光に驚いたように、SI君も何かに驚いていたのでしょうね。

その日、私が一番驚いたのは、外から室内に戻った瞬間でした。「えっ、こんなに空気が違うんだ、まるで別世界だよな」…心地よく流れていた風が一瞬にして途絶える、自分を取り巻いて聞こえていた物音、鳥のさえずりや学生たちがボールで遊んでいるざわめきやらがいっせいに遠のいていく感じ…つい一時間ちょっと前に、私は今と同じ道を通って、同じ入り口からこの建物に入ってきたはずなのに、その時はこの空気の違いにまるで気がつかなかったよなあ…

目を開いているか閉じているかで、世界の感じ方はこうも違うのですね。これは目を閉じること、視覚からの情報をシャットアウトすることで、他の感覚を鋭敏に意識するようになった結果の出来事ですが、俳優というのはいわば、この感覚の鋭敏化を舞台の上で目を閉じないで意識的に行う者なのではないでしょうか。

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意識のダンス 2

転形劇場で太田省吾さんが最後に創った舞台は「水の休日」でした。舞台一面に薄く(5センチぐらいかな)水を張って、水面が鏡のように物体や人間を反射して、時には漣がゆれるようで、きっと見ている分には美しい舞台であったろうと察するのですが…舞台に立つほうはそれはもう格闘技のようなところもあったように記憶しております。

その作品で、私は夜空に精子の星をちりばめたのですが、これは太田さんの「抱擁ワルツ」から引用されている場面でした。私は掌の精液から精子を宇宙に飛ばしたわけです。これにはいちおう歴史がありまして、この舞台の初演では、品川徹さんがたしか指先に息を吹きかけて夜空に飛ばし、追加公演でこの役を演じた大杉漣さんは指先を空に押し当てるようにして精子の宇宙を作っていたのです。私の好みはと言えば、品川さんだったのですが、真似をするのは嫌なのでひとひねり、指先を弾いて精子を夜空に飛ばしてみました。で、問題はここからです。飛ばし方はそれぞれでも、転形劇場の役者は舞台の上に精子が星のように輝く夜空を見ることが、たとえ見えなくても、星空を感じることができたのです。品川さんも大杉さんも、そして私も。ところがです。この同じ劇を新劇のある劇団の、それこそ映画やテレビでもおなじみの俳優さんがやられたのを見たのですが、とにかく希薄なのです。何がって、彼の頭上に星空が広がるはずなのに、彼には星空が感じられていない、感じられているとしても非常に希薄な、おざなりな星空なのですね、どう見てもこれは。つまりはこういうことです。感じること、なんですね、意識する、ということは。星が散りばめられた夜空を感じているか否か、それを意識に上(のぼ)せているか、否か。太田さんが常に問いかけていた意識、というのはこういうことだったと思います。

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意識のダンス

昨年、先生だった大田省吾さんが亡くなられたあと、転形劇場で創った「水の駅」と「やじるし」の舞台がつくずく懐かしくなり、また自分にとってかけがえのない経験であったことがよく分り、再び舞台に立ってみたいなあ…、とは思っていたのですが、いちおうは劇団を主宰しメンバーのために台本も書かねばならない立場であるため、さてどうなるものやら…と思っていたのが、たまたま退団する人や、休団する人が出たおかげで自分が舞台に立たざるを得なくなり、まあ、今回の「水の花」は自分が舞台に立つ事を前提に、つまりは自分に対する当て書きになったわけですが…

昨年の「孤独な老婦人に気をつけて」の大佐役は5年ぶりの舞台でしたが、それ以後、三回出演依頼が舞い込みました。台本執筆と「水の花」の稽古とダブルために二回はお断りしましたが(役者としてはちょっと残念)、三回目のお話はドラマ・リーディングへの出演で、稽古回数も少なく、「水の花」の稽古と重なってもなんとかこなせると思い、お引き受けすることになりました。劇団「劇作家」という、劇作の勉強をしている方たちの集まりが主催するドラマ・リーディング、台本が届くのを楽しみにしています。

ところで転形劇場時代、太田さんはよく「意識する」という言葉を多用されました。舞台に立つ時、その人間が何を意識するか、ということです。舞台に立つ俳優というのは、あとで思い返してみるとよく分裂しないものだなあ、と我ながら感心したくなるほど、様々なことを意識に上(のぼ)せて処理しています。例えば、自分の姿格好、腕の位置、手の置き所、歩く所作、そして目は何を見ているか、その時自分は何を聞いているか、客から自分が見える位置にいるか、言葉が慌てないできちっと発語できているか、声量は十分か…(数え上げたらさらに続いて限りなし)…その合間を縫って、自分の感情=役の感情がどう動いていくかを見守りながらコントロールしていく。私はある頃から、劇はもっと意識のダンスであっていい、と思うようになってきました。転形劇場の舞台でも、「やじるし」で私が演じた<笑い男>のシーンなどはそうだったように思うのですが、それをもっと意識的に押し進めてみたい。それを一つの目標にして書いたのが今回の「水の花」です。自分でも稽古が楽しみで、怖くて、今からワクワクしております。

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牛・豚・鶏

前回の同時進行はすべて芝居の仕事でしたが、これに毎日のビフォー・ナインの仕事がからまります。某大手スーパーマーケットの朝の品出し作業なのですが、9時の開店時間に間に合うように、トラックで運ばれてきた商品を売場に陳列するわけです。最近、肉の売場の担当になったものですから、毎朝毎朝、牛・豚・鶏の肉と格闘しているわけです。

オーストラリア産牛・豚ミンチ100g単価99円の400gパック、250gパック、100gパック…国産牛・豚ミンチ100g単価128円300gパック、200gパック、100gパック…ほとんど見た目は変わらないのに単価が違っていたりして、けっこう気を使うのですが、それにしても、いったいこれだけの肉のために何頭の牛や豚や鶏が処理されていることか…肉の塊が入っていた運搬用の幌つき台車に首を突っ込むと、オッ獣クサっ…その瞬間、初めてヨーロッパに行って、肉屋に入った時の印象がワッと蘇って…

日本の肉屋は上品というか、うまくその辺を隠しているというか…あちらの肉屋は締められた鳥が天井から吊るされていたりして、匂いも生臭ければ光景もなまめかしくて、いやでも俺たちは獣の命を奪っているんだという感じがゴロッとあって、狩猟民族なんだよなあ…と感じていたのですが…

さっき女房が買い物をして帰ってきて、私が買い物袋から冷蔵庫にしまったのですが、グラム99円の牛豚ミンチ400gパックがひとつ、今朝、私が陳列したパックでありました。ありがたく食させていただきます。

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同時進行

今年一番の山場は9月9日~14日のU・フィールド公演「水の花」であることは間違いありません。さあ、それに向かって集中!…と、いきたいところですが、来年一月末に再出発公演が決まった横浜青葉区の小・中・高生ミュージカルの準備が始まっており、なんといっても制作者がいない集まりですから、スタッフの人集めから私自身も動かなくてはいけないし、また4月から新学期がスタートし、去年までの戯曲演習に、新しく身体論ワークショップなる授業がプラスされ、学生との出会いが広がるのはそれで楽しいものの、準備は2倍かかるし、一昔前の自分だったら、とうに爆発しているだろう忙しさなのに、最近はどうも忙しい中で人と会うのが楽しみになってきていて、それが創作にも刺激を与えてくれているようなので…それにしても目が回る。

U・フィールドの目下の仕事はチラシ作り。表のデザインが出来上がってきたので、今日は裏面に載る文章などを考えなければいけなかったのに、つい昨日あった授業のことを考えたり、三月の末にあった、ミュージカルのワークショップメンバーによる小公演のことを思ったり…そこでね、こんど6年生になった女の子が初めてソロで歌ったんですよ。それが嬉しいビックリでね、いいのですよね、「へえー!」初めて練習で彼女のソロを聞いたときは、正直驚きました。3年生の時から知っている彼女ですが、歌は合唱でしか聞いてなかったからなあ…このワークショップを企画して実現してくださっている、かめおかさんに大感謝です。その小公演、仕事が重なっていて見に行けなかったので、今日、いただいたDVDを見てみたのです。「つながる つながる すべては つながる…」(かめおかゆみこ詞・金子忍作曲)…声は伸びやかで、ふくよかな響きがあって…彼女の歌声はやはり最近の新発見、来年のミュージカルの楽しみが一つ増えました。

さて、チラシの文章、あしたこそ、と念じつつ、今日はそろそろおやすみなさい。

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あの日夢見たもの

今年からまた、横浜・青葉区の小・中・高生ミュージカルが再開することになりました。上演は来年の一月末。それに向かって着々と準備が始まりつつあります。

あの日 心の翼 はばたかせ                       限りない希望 胸に抱いて                          彼方を目指し 舞い上がる                          けれどもいつか 翼折れ 力尽き                      深く沈んだ 闇の底

何もかも 信じられずに                            心の扉 固く閉ざして                              あの日夢見たものも忘れて

ある日 闇の底から 見上げれば                      はるか彼方に かすかな光                          忘れた思い 蘇る                                耳を澄ませば 呼びかける 友の声                     凍った心 溶かしてく                              

勇気だし 今踏み出そう                            つながる心 見交わす目と目                         あの日夢見たものに向かって

これは第一回青葉区小・中・高生ミュージカル『手古奈』のエンディングに作られ、今では青葉ミュージカルのテーマソングとなっている「あの日夢見たもの」(かめおかゆみこ・詞 金子忍・曲)の歌詞です。当時、私は舞台の演出に自信を失っていました。自分の書いた台本とうまく距離を置くことができなくなっていたのだと思います。それが市民ミュージカルの演出の仕事をいただき、とにかく生活のために少しでもお金をゲットしようと引き受けたのが、まさか再び演出を自分の仕事として引き受け直すきっかけになろうとは、当時の私には想像もできない未来図でした。

バブルがはじけたあおりを食って、20年続いた築地魚市場でのアルバイトを失い、演劇ワークショップを立ち上げたものの生徒さんはなかなか集まらず、正直言って五里霧中、金はなくなる一方で、稼ぎは細々…そんな私の心に、この歌はしみとおったのです…

ミュージカル(演劇の舞台)を経験すると、子どもたちは変わります。本当に変わります。人前では物が言えなかった子が、終わったあとの解散会では、時間をかけてでも自分の思っていることをなんとか伝えようとします。中にはホワイトボードに絵だか図だかを描いた生徒(当時小4か5)もいました。小さい丸と大きい丸。小さい丸はミュージカルをやる前の自分で、大きい丸が今の自分だと言い切りました。言葉は訥々としていましたが、目は輝いていたのを鮮明に覚えています。そして変わったのは生徒だけではありません、私自身もずいぶん変わりました。演出に自信を失っていたのはとうの昔になりました。それでもこの歌を聴くと、今でも胸が熱くなります。また多くの生徒たちがこの歌を歌いながら、一つの節目を経験していくでしょう。そして私も、さらにこれからどんなふうに変わっていくんだろう…

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その時はよろしく!

今度は身近なところからの訃報が届きました。中学時代の同級生のKが亡くなったのです。原因は癌。昨年の12月に、それこそ40年ぶりに再会したのですが、既に病魔が進行しており、痛み止めを飲みながら、かつての学校仲間たちと酒を飲んだり、カラオケに行ったり…私は用事があってカラオケまでは付き合えなかったのですが…「地元の祭りには欠かせない人で、いったいどうやればこううまく事が進行するのか、始めは関心するばかりでした…やがて気がついたのは、この人は子どもたちが大好きなんだということでした…」と弔辞が読まれましたが、そう、通夜に来た子どもたちが多いこと多いこと、それから、少し前まで子供だった高校生たちとかもね…

彼は中学では番長だったんですよ。といっても彼が誰かに暴力をふるったのは一度も見たことがありません。なのに、たしかにちょっとはずれそうな連中を彼が仕切っていたんですよね。教師と話しているところは、なんか大人どうし、っていう雰囲気があったし…Kが十台で結婚したと聞いたときも、彼ならさもありなんと思ったし、そう、俺の十歩も百歩も先を行ってるなあ…と感じていたのに、まったく、この世からおさらばするのまでこう早いとは…とうとう追いつく暇がないうちに行っちまいやがった!

12月に久々に彼や、彼と一緒に嘗ての級友たちに出会ったことも、今回の新作「水の花」を書くきっかけになっています。芝居には有栖川公園も出てくるのですが、あの頃、夜な夜なたむろしてたんだよね、ちょっと学校にうんざりしかけていた連中が彼を中心にさあ、有栖川公園に、でも、彼はけっして学校にうんざりしていたわけじゃないんだよね、そういう級友を放っておけなかったんじゃないのかしら…だから、子どもだけじゃなくてね、人間が大好きだったような気がします。

K、こっちもおっかけそっちに行くから、その時はまたよろしく頼むぜ!

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昨日小川国夫さんが亡くなったことを今朝の新聞で知りました。小川さんの小説はある時期、私の支えでした。小川さんの作品を読むと、「ああ…俺も生きてるんだなあ…」と、感じることができたのです。

 市は山の中腹に建てられていて、牢は市の上のはずれにあった。その日も、夜が明ける前に、驢馬の鳴き声があちこちに起った。彼は独房に微光が来ると起きて、ゆかに指でなにか書いていた。

 いつの間にか夜は開け放たれていた。兵隊が来た。そして、一人が、うずくまっている彼に

ー起て、といった。

彼が立ち上がると、兵隊は彼の足元にしゃがんだ。足枷をはめるのだ。はめ終わると、兵隊は剣を抜いて、彼の両足の親指の爪をはがした。その日の最初の血が流れた。血は廊下の灰色の石の上では黒っぽかった。そして監獄の門のひなたでは赤かった。つめかけた群衆は静まった。

坂はそこから始まっていた。刑場は谷底で、雛菊の谷と呼ばれていた。

小川さんが世に知られるきっかけになった短編集『アポロンの島』の冒頭の作品「枯木」の書き出しです。小川さんの作品にはいつも登場人物の息づかいが感じられた。脈拍が感じられた。当時の私には、からからの喉を潤す一筋の水の流れのようでした。転形劇場の劇団員になるまでの2~3年の間、小川さんの言葉は、私にとって、そのようなものでした。

前のブログで「普通になること」という題で書きましたが、小川さんのこんな言葉も印象に残っています。今の自分にとって読書とは何かと自問して、「目前の安心感のためにーひたすら幸福な時間を得るために読書する場合もあるんです。希望ではなくて癒えることが、名誉ではなくて人並みになることが、つまり、救いこそが要る状態なんです。」…私にとっての演劇はまさにこの「人並みになること」だったのではないでしょうか。そしてそれが救いであるとしたら…今、私は演劇に出会わなかった自分の人生は想像すらできませんが、ともかく、演劇のおかげで私は救われ、なんとか人並みになれたと思っています。というか、これからも人並みになり続けていくことができそうかな…、と感じています。

小川国夫さんの小説は、私に人並みになるきっかけを与えてくれたのかもしれませんね。ありがとうございました。合掌。

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普通になること その1

演劇を通して初めて子どもたちと接したのは2001年、第一回青葉区小・中・高生ミュージカル「手古奈」の演出を引き受けた時でした。「井上がミュージカル?!」おそらくそれまでの演劇仲間は半信半疑だったと思いますが、こっちは何しろ演劇で少しでもお金にしたいわけですから、必死です。なんてったってミュージカル、予算のすごいこと、聞いて驚くぞ、80万!…誤記ではありません。たったの80万。舞台装置は、前回紹介した横浜のM先生が顧問を勤めるY中学が、中学生の演劇大会で「手古奈」を上演した際の舞台装置をほぼそのまま使って、節約節約!という状況でしたが、とにかくいろいろな方々にお手伝いいただき、それが最初で、以来、毎年続くようになったのですから(予算はもう少し膨らませていただきましたが)…とにかく踏ん張った甲斐があったわけですが…

その時に中学2年生だったNさんのことは忘れられません。M先生が…「あの子は教室に出て行けないので、保健室登校をしてるんですよ」…と教えてくれます。心の中で「へーっ!」と驚きます。そういわれてみると口数はたしかに少ないかもしれませんが、こちらを見つめる真摯で大きいつぶらな瞳といい、歌を歌う時のこれまた大きく開いた口といい、ミュージカルの現場(練習場)ではあんなに生き生きしている彼女がねえ、うーん!…

彼女には、兵士の役をやってもらいました。6人いる兵士の一人。台詞もけっして多くはありませんが、言ってもらいました。踊りも、これは戦いの踊りですから、かなり激しい踊りを、一生懸命踊っていました。そして、歌を歌う時の大きく開いた口と、あの見開かれた大きなつぶらな瞳!…本番が終わって、M先生を補佐してくださっていたG先生がニコニコ顔をほころばせて私に教えてくれるんです。「他の先生たちが舞台のNを見て驚いていますよ!あの子のあんな顔、見たことないって!!」…じつは私も驚いていたんです。いえ、舞台の彼女にではありません。当日は会場のロビーに出演者たちの顔写真が一人一人張り出されていたのですが、多少ははにかんで写っている子もいますが、殆どが稽古場で知っている顔顔が並ぶ中で、Nさんの写真だけが、まるで普段の彼女ではないのです。レンズから顔をそらしたいのにそらせないで、なんとかこらえて写っている写真、「えっ、これがNさん!?」唖然としました。もしかしたら、学校にいるときの彼女はこういう感じなのかしら…つまりこういうことなのです。学校の先生たちは舞台の彼女の生き生きとした姿を見て驚き、感動し、私は、ミュージカルの彼女とはまるで別人の写真を見て驚いていた、ということなのです。…そしてこのミュージカルをきっかけに、彼女は変わっていきます。普通の生徒へと時間をかけて変貌していくのですが、それは次回に。

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「うちの演劇部は吹き溜まりですよ、普通にはやっていけない子ばっかりがあつまってくるんだから」…その子たちが可愛くてたまらん、といった表情を浮かべてそう言ってくださったのは、私に中学校演劇の仕事を紹介してくれた、横浜で演劇部の顧問をされていたM先生でした。吹き溜まり、と聞いて、ああ…と思い、普通にはやっていけない、と聞いて、まさに自分もそうだったなあ、うーん…その夜M先生とは終電間際まで飲み、かつ話し合ったものでした。

「普通」とはなんなのでしょう?それはこの世の中とうまく折り合いをつけてやっていくうえでのスタンダードなのでしょうか?…とにかく、人見知りが激しかった、引っ込み思案で人前に出るのが苦手だった、自意識過剰で、いつでも誰かに見られているのではないかという不安が常につきまとっていた、そのくせ、誰かに見ていてほしいという願望を常に抱いていた…自分はなんの才能もなく誰よりも劣っていると自己嫌悪に陥るかと思うと、ちょっとしたきっかけで瞬く間に優越感の虜になって誇大妄想狂的に自分を過大評価してみたり…これみんな私のことです。最近ではすこーし穏やかになったかもしれませんがね…ええ?そうかなあ?…これは劇団員の声か女房の声か…

思い返してみれば、私が十年間劇団員だった転形劇場のメンバーだって、どうみたって普通の人なんかいなかったような気がします。たしかに普通にはなれない人間が、何かが足りなかったり多すぎたりする者が劇に向かったのかもしれもせん、特に私たちのころのアングラ劇(なんていわれてましたよねえ)には。とすれば、この横浜のこの中学の演劇部員たちは、世の中となかなかうまくやっていけない、やっていきづらい私の血縁なのかもしれないなあ…そんな思いがきっかけで、私は中学校演劇の講師なるものを仕事としてお引き受けしたのでした。

ならば、劇をやることで少しは普通に近づけたのか、中学生たちも、私も…?これは次回に。

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心ときめいて…中学演劇雑感

3月27・28の両日、横浜桜木町にある神奈川県立青少年センターで、関東中学生演劇発表会がありました。今年で6回目なのですが、回を増すごとにレベルが上がり、出場校どうしがお互いを刺激しあいつつ盛り上がっている感じがして、とても爽やかないい雰囲気の大会になりつつあります。二日間のラストに演じられたのは埼玉の久喜中学校の「春一番」。これはね、演劇をやっている中学生には是非見てもらいたい劇でしたね、というか、演劇やっていない中学生にも、いえ、中学とか演劇とかに関係ない大人にも見せてあげたい、本当に素敵な素敵なお芝居でしたね。…と、こう書き出しただけで、演じていた中学生の表情とかが頭の中に漂い始めて、思わず目の裏がウルウルしてきます。

中学校演劇と関わりはじめて7~8年になりますが、中学生の劇って高校生の作る劇とはずいぶん違うなあ…とある時から思うようになりました。レベルが低いとかいうことではなく、演劇に向かう何かが決定的に違うように思えるのです。いったい何が違うんでしょう…

高校生の演劇部員にとって、舞台で演劇をやる(役を演じる)のは当たり前のことでしょうが、中学生ではそれが当たり前でもないところがあるんじゃないのかなあ…というのは、たとえば「犬にだってなれる自由さ」というのが演劇にはありますよねえ…別に理由なんかなくてもね、ある瞬間「ワン!」と吠えて四足になってみるだけで感じられる自由さ…、というのが演劇には(特に俳優には)あると思うのですが、これは高校生なら理解するでしょうが、中学生では理解できないのではないか…

私が大人になって生で見て、初めて感動した劇は桜社の「泣かないのか泣かないのか1973年のために」という舞台でしたが、何に感動したかと言えば、舞台が銭湯であったことでした。主人公の青年が暗転幕の前で鼻歌を歌いながら衣服を脱いで裸になる。で、客席に背中を向けた瞬間、黒幕が振り落とされて、銭湯の洗い場が現れる。彼は桶を手にその洗い場で体を洗い始める。 えー!!銭湯が舞台装置になる!!へー!! しかしこの開放感、この自由さというのは、自分がある程度大人になっていないと感じられない自由さなのではないでしょうか?

演劇(あるいは表現行為全般にいえるかもしれませんが)がもつ自由さ、というのは、やはり既成概念を撃つ力があるのです。そして中学生というのが体も心も子どもから大人へと変わっていく時期だとすると、まさに様々ないレベルで既成概念を身に纏っていく時期が中学時代なのだと言えます。ということは、中学生でありながら演劇をやるというのは、既成概念を身につけつつも、同時に演劇の場ではそれを壊そうとする、あるいはそれを揺さぶろうとする、という、本来は矛盾していることを同時にやろうとしていることにならないでしょうか。

つまり、中学生にとっての演劇というのは、その巧拙に関わらず、少なからず冒険なのです。別に犬を演じなくても、自分と同世代の中学生の役を演じるだけでも、演じる、という一点でそれは既成概念を揺さぶる冒険になるのです。そこが高校演劇とは決定的に違うのです。高校演劇では既に演劇である以上、役者が舞台で演技することは当たり前なのです。ですから、問題は如何に演ずるか、ということになります。もちろん中学演劇でも、いかに演じるか、ということも問題になるのですが、その前に、演じること自体を肯定しようとする力が必要とされる、というのが中学校演劇の大きな特徴なのだと考えます。

<演じる>ということを前にしたこのささやかな怯え、このささやかな謙虚さ、これが中学生の劇に他ではけっして見られない独特のきらめきを与えているのではないでしょうか。

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仕事で勉強

…というわけで、ずいぶんご無沙汰をしてしまいましたが、ようやく新しい台本を書き上げました。タイトルは「水の花」。…自分はもう台本を書くことはないんじゃないか…そう思っていた時期もあったのですが、どうやらまた書き始めたようです。台本を書くのと、演出をするのと、役者で舞台に立つのと、その時々で何が一番楽しいかが変わるのですが、この作品では三つともやることになります。そういえば昔、シンガーソングライターのような演劇人になりたいなあ…などと思っていた時期もあったのですが、はからずもそれが今秋、実現するのかなあ…

昨年の秋、立教の授業でベケットと別役を取り上げてみました。久しぶりに読んだ「ゴドー待ち」はたいへん新鮮で、なんて面白いんだと、こいつは是非U・フィールドでやってみたいな!と興奮したのですが、次に取り上げた別役の「天才バカボンのパパなのだ」も滅茶苦茶面白くて、ああ!これもU・フィールドで…!と興奮し、しかしすぐれた戯曲をじっくり読み直す、というのはあらためて勉強になったようです。いえ、仕事で中学生演劇の台本を年に30本ぐらいは読んでいるのですが、それも勉強になっているようです。ほんと、中学生のための台本だといって馬鹿にはできません。私が逆立ちしたって書けないようなすぐれた本やユニークな本がいっぱいあります。普段、私はそれを仕事で批評するのですが、仕事しながら勉強できるなんて最高!あ、立教のベケットと別役も仕事で勉強でしたね。もしかしたら、私はたいへん恵まれているのかもしれませんね。

そういえば、立教の授業は15人の学生が相手だったのですが、彼らがけっこう授業を、というか、ベケットと別役を面白がってくれて、それもこっちをいい意味で刺激してくれたようです。とにかくいろいろなことに感謝しつつ、新年度が始まったようです。

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