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さてと、これから…

実に久しぶりにこのページを開いています。いざ、作品に取り掛かると、思いは脳内を駆け巡って、いっこうに言葉になりません。言葉にしようと思いを追いかけると、いつの間にか息切れがしたように、死んだような言葉しか浮かんでこないのです。ということで、しばらくのお休み状態をご容赦ください。

ともかく、4月から始まったWSも、この13日で21回を終えることができました。この間に、皆さんの顔・姿・声などなどを思い浮かべながら、台本の練り直しも進んでいます。さあ、いよいよ劇団の稽古も始まって、10月公演がますます具体的になりつつあります。

そんな時、訃報が届きました。最後のWSの日。その日の午後、森屋と二人で病院へ行ってきたばかりだったのに…ベッドの横で、激しく後悔しました。もっと早く来ていればよかった。二年前に癌を患った父が最後は肺炎で逝ったのですが、その最後の姿とそっくりでした。このまま目の前で息を引き取っても不思議じゃない…そんな思いがサッとよぎります。話しかけたいのに、声も出せませんでした。

転形劇場の劇団員の誰にとっても、太田省吾は特別な存在だったように、私にも特別な人でした。その人が近いうちに逝ってしまうかもしれない、そう知らされたのはひと月以上前なのです。どうしてすぐに連絡を取って、病院に行かなかったのか…私は、あらためて自分にとって演劇とは何なのかと考え始めていたのです。二十代から演劇に関わって、転形劇場で十年間役者をやって、U・フィールドで台本や演出をやって、今では市民演劇や学校演劇のかかわりでささやかな収入もいただいている演劇とは、今の自分にとって何なのだろうと…その間、10月公演の台本を作り直したり、2年前に上演した『森の奥へ』の改訂版を書いたり、もちろんWSを続けながら、考えていたのです。それで、ひとつだけ浮上してきた事実があります。私は3年前に上演した『女中たち』から、Uフィールドの演劇がはっきりとした形を取り出しつつある、と感じ始めていました。まだまだ不十分なところは多々ありますが、それでも、確実にこれがUフィールドの劇だ、と思える何かがはっきりしつつある、と。それをもうひとつ明確にしたくて、2年前の『森の奥へ』を書き直してみたのです。結果、台本としてはまあまあ、納得がいく(自分の貧しさも含めて)といいますか、ほぼやり切れた、という感じを持ったのです。それなのに、何か物足りない、書いただけでは何かが欠けている、なんなのか?

太田さん、今ではよく分かるように思えます。転形劇場の舞台での、とりわけ『水の駅』と『やじるし』の舞台での体験に匹敵する演劇経験は、自分が主宰するU・フィールドではこれまでなかった、という事実。いえ、このままでいけば、これから先もけっしてないだろう、ということに気がついたのです。せっかく、U・フィールドの劇世界が何ものかになろうとしているのに、このままではそれは不十分に終わってしまう…それが確信としてやってきたのです。私は、真剣に役者として舞台に復帰しようと思い始めていました。台本も書きたくなったときは書きます。演出は続けます。同時に、役者を生涯の仕事としようと。転形劇場の俳優の演技は何々メソッドというふうに方法化されてはいません。いえ、方法化を拒否するところに成立していたのが転形劇場の演技だったと私は思っています。舞台の上に立つ役者の意識、それがいかに自分に、他者に、世界に向き合えるか、そのことだけに焦点をあてていたのが、転形劇場の俳優の演技であり、当時の太田さんが追求していた演技の根幹だったように思います。

私は、やく五年ぶりにU・フィールドの舞台に立ちます。そして舞台に立つことで、U・フィールドの劇世界とそこに生きる俳優の演技の時間をもう一つ明確にしていきたいと考えています。舞台の上、というのは本当に生ものです。今、私は「明確にしていきたい」と書きましたが、明確の対極にあるのが、舞台の上です。その曖昧な、混沌の中に分け入ることで、今一度、自分を、他者を、世界を意識しなおすこと、そのとき、U・フィールドの舞台がどんな世界となっていくのか…

WSから参加された皆さん、それからオーディションからの皆さん、そして客演の皆さんとU・フィールドのみんな、『U・フィールド版 孤独な老婦人に気をつけて』をほかのどこにもない面白い舞台に、かけがえのない演劇体験にしていきましょう。

太田さん、どうぞ見守っていてください。そして、また鼻で笑ってくださいね。

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