忙しいのに楽しくて

長らくご無沙汰してしまいました。本格的に役者をやるのは本当に久しぶり、こんなにもワクワクしながら緊張し、ウヒヒヒと面白くなったとたんにクソッと自分を罵りたくなったり、まあ、面白い分、月日がアッいう間に飛び去りつつあります。「今回は台詞が多い!」やっと半分覚えたのに、まだあと半分覚えねば!とにかく、「暑い暑い暑い暑い」とボヤキを連発しながら、役者三人、稽古に精を出しまくっておりますので、どうぞ本番を楽しみにしていてくださいね! とここまではU・フィールドのご報告。

ところで、メッセージボードにも書きましたが、ドラマ・リーディングに役者としては初挑戦いたします。村尾悦子作・「ホーム・カミング・ロード」 面白い台本です。読んだ印象は大田省吾とフェリーニを合わせたような、といいますか…稽古が三日しかないということで、どうなんだろう…と思っていたのですが(まあ、そういう条件でしたので、新作の稽古中でもお引き受けできたのですが)…演出意図も明確なので、ちょっと面白いリーディングなりそうなので、紹介したくなりました。

やるのは7月24(木)19:30 と 26日(土)14:00

場所は 池袋シアターグリーン(BASE THEATER)

私がやるのは「老人」という役なのですが、いい役ですね。それと言葉がたいへんいいんです。選ばれている、といいますか。目下稽古を重ねている私の「水の花」とは全然感触が違う言葉が選ばれていて、それも、二つを同時進行させている私にとっては新鮮なんですね、きっと。

興味のある方は、是非私までメールを送ってくださいませ。メールアドレスを記しておきます。i-hiro1014@jcom.home.ne.jp

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こっぱずかしい!

昨日、9月公演「水の花」の初稽古があり、出演者3名が集まっての初読み合わせ。演出は私だから本当に3人だけの稽古場。ちょっとさびしい気もしますが、それだけ言いたいことを言って、やりたいようにチャレンジできる場にしよう、そういう他の2人の心意気?…みたいなものが感じられて、ちょっと勇気がわいてきましたが…

ここのところ時間があると、図書館から借りてきたジャン・ジュネの「恋する虜(とりこ)-パレスチナへの旅」を読んでいます。ジュネが死んだのが1986年ですから、それからだって20年が過ぎているのに、パレスチナ問題は未だに解決されず、今日の新聞にも「希望が持てないパレスチナの若者たち」というような見出しの記事が載っていました。明日の5月15日がイスラエルの建国の日=中東戦争が始まった日であり、パレスチナの人々が国を奪われた日だからなのでしょう。しかし、今回の芝居「水の花」はそんなパレスチナのこととは無縁です。イラクでは戦争が続いているし、中国ではチベットを含む少数民族の人たちが自治を認められずに苦しんでいるかもしれませんが、そういうこととも無縁です。日本では硫化水素自殺が相次ぎ、いったいこれはどういうことなんだ、そんなに生きてることに希望が見出せない社会になりつつあるのか…と背筋が寒くなる思いがしますが、そんなこととも無縁で…同窓会帰りの二人の男、56歳の二人の男の中学時代の劇(宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」)の思い出や初恋の相手である荒川ミユキとの思い出が語られ…ああ、こんな芝居に意味があるのだろうか?中年男のノスタルジーじゃあないのか、金を貰って見せる価値があるのか、俺はバカなんじゃないのか、いや、作家としての力量が絶対的に不足してるんじゃないだろうか…等々…次から次へと疑問が押し寄せ、じっさい恥ずかしくってしょうがないのですが、それでもこの劇を3人で稽古します。そして上演します。パレスチナやイラクや中国や日本のいろいろなことに目を向けているように思っている自分もいることはいますが、こんなことしか考えてない自分だって自分なんだもの、もしかしたらこの恥ずかしい自分こそ、いちばん自分らしい自分かもしれない、いや、きっとそうなんだよ、だから演じる自分に当てて書いたのが今回の台本で、つまり自分への当て書きなんだよね、くっそ、もっとかっこいいやつ書ければいいのに、よりによってかっこ悪いしなア…

ジュネの本は明日で貸し出し期限が切れるので、まだ三分の一しか読めてないけど(彼の本は時間が掛かるう!)、図書館に返します。ここからは台詞も覚えないといけないし、役者に集中していきます。今回の芝居は体を意識して書いたつもりです。それはどういうことなのか、稽古しながら考えていきたいと思っています。このブログもあまり書けなくなるかもしれません。でも、応援してください。是非、いい舞台にしたいと思います。恥ずかしいけれど、これが今の自分だとしたら、その飾らない自分を是非見てください。

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ジャンガストの視線

一昨日(5月2日)立教のワークショップで<見るー見られる>というエチュードをやったせいかしら、その日の深夜、台所で食器の片付けをしていると、急にジャンガストという人名が浮かんできました。小川国夫の小説に登場する人物の名前です。舞台はフランスの田舎町(だと思う…)の酒場。そこで主人公の浩をじっと見つめている男がジャンガスト。背が大きく、ボクサー上がりで、きっと顔は少しつぶれたところがあるのかしら…、そのジャンガストがカウンターでコニャックを飲みながら、じっと浩を見つめている。やがて、ジャンガストは浩のテーブルまでやってくると、立ったままじっと浩を見下ろすことになる。

<浩はそれに気がついたが、そのまま新聞を読んでいた。…(中略)…酒場は静まり返った。浩は自分達が酒場の中心になったことを感じていた。>

一触即発の緊迫した場面である。荒々しい言葉は一つもないのに、暴力の予感で満ちている。一方的に見ているジャンガスト 対 一方的に見られている浩。

結局暴力沙汰は起こらずに、二人は言葉を交わす関係になっていくのだが、そこでもまた<見る><見られる>という関係の中で再び静かな対決がある。

「ヴィエトナム人かね……」「いや、日本人です」「ヴィエトナム人と日本人はどう違うかね……」「さあ……ヴィエトナム人の方が花車のようだな……」「そうかね……あんたも細い手をしている」「日本にいれば細い手じゃない」と浩は自分の手を見ないで、いった。ジャンガストは、テーブルの上に置かれた、浩の手を見ていた。浩は、自分の手を動かさないように、怺(こら)えていた。

やがてジャンガストの妻がヴィエトナム人の男に奪われたことが語られ、さらに6歳だった一人娘を海で失ったことが語られて、短い小説は終わるのだが…

食器の片づけを終えると、私は急いで二階へ上がった。本棚からこの短編が収められた「アポロンの島」を抜き取り、声を殺して読んでみた。急に小川国夫の小説が語りたくなったのだ。ジャンガストの話は「貝の声」、さらに「枯木」「エリコへ下る道」と声を殺して読んでみた。…面白い。これは語ってみたい。観客の前で語ってみたい。以前、ある方から「語り」を勧められたことがある。彼女はカミユの「異邦人」なんかいいんじゃないかなあ…と言ってくれたのだが、うーん…、と決めかねていた。しかし、このとき、「これだ、小川国夫だ!」と思った。

彼の作品には人間の体が顕わになる瞬間があるのです。そこを語りながら演じてみたい。それこそ、役者井上にとってもっとも関心のあるテーマじゃないか。是非実現させてみたいと思っています。どうぞご期待ください。

 

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すぐ側にある別世界 2

インスタント盲人体験のワークショップの最後に、こんなことを話してみました。現在中学2年の息子が3~4歳くらいだったかしら…

当時、彼は保育園に通っていて、朝は女房が保育園に送っていくのですが、帰りは、劇の稽古などがあるとおじいちゃん(私の父)にお迎えをお願いしていました。80歳での初孫、それはそれは可愛がってくれていて、お迎えも苦にせずしてくれたので私たちには大助かりでしたが、一つだけ困ったことがありました。おじいちゃんがお迎えに行くと、必ず玩具(おもちゃ)が増えるのです。帰り道の途中にマルエツがあって、そこできまってねだられるわけです。それで、おじいちゃんに「玩具は買わないで」とお願いし、「うん、分った」と言ってくれるのですが、それでも玩具は増えるばかり、「困るんだよ」と言うと、「いや、こっちも困っちゃうんだよ、玩具の前で動かないんだから」…

子育てで知ることはけっこうあるもので、私たち大人と、幼児ではスーパーマーケットは全然違う顔を見せるのです。その典型が幼児向けの玩具。ああいったものは、幼児の目線の高さに配置されているんですよね。ですから、大人に手を引かれてスーパーの店内を歩くことは、幼児にとっては玩具の誘惑を受け続けることになるんですよね。大人は晩ご飯のおかずは何にしようかなあ…と、ひき肉や鶏肉を眺めながら歩いているのに、子どもはウルトラマンや怪獣のフィギュアやポケモンやアンパンマングッズの林の中を歩いていたりするわけです。つまり大人と幼児とでは、スーパーマーケットが全く違う世界として体験されている、ということになります。さらに子どもによって、ウルトラマンに強く引かれる子と、仮面ライダーに夢中な子では世界が異なってくるでしょうし…このことを押し進めて考えていくと、現実の世界は一つでも、体験される世界は、そこに人が十人いれば十の世界体験が、百人いれば、百の世界体験がある。ということは、千人いればそこには千の世界がある、と言えるのではないでしょうかと…

つまり、私たちとは一人一人が別世界に暮らす者たちの集まりではないのか…と。

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すぐ側にある別世界

<感じる>ということについて、最近の体験から。

先日、立教のワークショップでインスタントの盲人体験をしてみました。二人一組になって、一方は目をつぶり、一方が手を取って散歩のようなことをしたわけですが、室内から外へ出た瞬間、私が手を引いていた学生のSU君が思わず、「おっ、おっ…」と声を発します。どうしたのかなと思っていると「陽の光ってすごいんですねえ…」と言うのです。十数分後には、今度は私がにわか盲人になって手を引かれたのですが、そう、4月末の太陽の光は、私の瞼の裏を真っ赤に染め上げてくれました。それで、しばらくする散歩を続けると、すぐ側で犬が「ウッ…ウッ…」と唸るのです。なんで犬がキャンパスに…?まさか俺を襲ったりしないだろうなあ…などとちょっと怯えていると、同じ所から「ナニ?」と呟く声が聞こえます。ああ、これは犬じゃなくて、ワークショップでにわか盲人を体験しているSI君が何かに触れて発していた声だと知りました。SU君が陽の光に驚いたように、SI君も何かに驚いていたのでしょうね。

その日、私が一番驚いたのは、外から室内に戻った瞬間でした。「えっ、こんなに空気が違うんだ、まるで別世界だよな」…心地よく流れていた風が一瞬にして途絶える、自分を取り巻いて聞こえていた物音、鳥のさえずりや学生たちがボールで遊んでいるざわめきやらがいっせいに遠のいていく感じ…つい一時間ちょっと前に、私は今と同じ道を通って、同じ入り口からこの建物に入ってきたはずなのに、その時はこの空気の違いにまるで気がつかなかったよなあ…

目を開いているか閉じているかで、世界の感じ方はこうも違うのですね。これは目を閉じること、視覚からの情報をシャットアウトすることで、他の感覚を鋭敏に意識するようになった結果の出来事ですが、俳優というのはいわば、この感覚の鋭敏化を舞台の上で目を閉じないで意識的に行う者なのではないでしょうか。

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意識のダンス 2

転形劇場で太田省吾さんが最後に創った舞台は「水の休日」でした。舞台一面に薄く(5センチぐらいかな)水を張って、水面が鏡のように物体や人間を反射して、時には漣がゆれるようで、きっと見ている分には美しい舞台であったろうと察するのですが…舞台に立つほうはそれはもう格闘技のようなところもあったように記憶しております。

その作品で、私は夜空に精子の星をちりばめたのですが、これは太田さんの「抱擁ワルツ」から引用されている場面でした。私は掌の精液から精子を宇宙に飛ばしたわけです。これにはいちおう歴史がありまして、この舞台の初演では、品川徹さんがたしか指先に息を吹きかけて夜空に飛ばし、追加公演でこの役を演じた大杉漣さんは指先を空に押し当てるようにして精子の宇宙を作っていたのです。私の好みはと言えば、品川さんだったのですが、真似をするのは嫌なのでひとひねり、指先を弾いて精子を夜空に飛ばしてみました。で、問題はここからです。飛ばし方はそれぞれでも、転形劇場の役者は舞台の上に精子が星のように輝く夜空を見ることが、たとえ見えなくても、星空を感じることができたのです。品川さんも大杉さんも、そして私も。ところがです。この同じ劇を新劇のある劇団の、それこそ映画やテレビでもおなじみの俳優さんがやられたのを見たのですが、とにかく希薄なのです。何がって、彼の頭上に星空が広がるはずなのに、彼には星空が感じられていない、感じられているとしても非常に希薄な、おざなりな星空なのですね、どう見てもこれは。つまりはこういうことです。感じること、なんですね、意識する、ということは。星が散りばめられた夜空を感じているか否か、それを意識に上(のぼ)せているか、否か。太田さんが常に問いかけていた意識、というのはこういうことだったと思います。

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意識のダンス

昨年、先生だった大田省吾さんが亡くなられたあと、転形劇場で創った「水の駅」と「やじるし」の舞台がつくずく懐かしくなり、また自分にとってかけがえのない経験であったことがよく分り、再び舞台に立ってみたいなあ…、とは思っていたのですが、いちおうは劇団を主宰しメンバーのために台本も書かねばならない立場であるため、さてどうなるものやら…と思っていたのが、たまたま退団する人や、休団する人が出たおかげで自分が舞台に立たざるを得なくなり、まあ、今回の「水の花」は自分が舞台に立つ事を前提に、つまりは自分に対する当て書きになったわけですが…

昨年の「孤独な老婦人に気をつけて」の大佐役は5年ぶりの舞台でしたが、それ以後、三回出演依頼が舞い込みました。台本執筆と「水の花」の稽古とダブルために二回はお断りしましたが(役者としてはちょっと残念)、三回目のお話はドラマ・リーディングへの出演で、稽古回数も少なく、「水の花」の稽古と重なってもなんとかこなせると思い、お引き受けすることになりました。劇団「劇作家」という、劇作の勉強をしている方たちの集まりが主催するドラマ・リーディング、台本が届くのを楽しみにしています。

ところで転形劇場時代、太田さんはよく「意識する」という言葉を多用されました。舞台に立つ時、その人間が何を意識するか、ということです。舞台に立つ俳優というのは、あとで思い返してみるとよく分裂しないものだなあ、と我ながら感心したくなるほど、様々なことを意識に上(のぼ)せて処理しています。例えば、自分の姿格好、腕の位置、手の置き所、歩く所作、そして目は何を見ているか、その時自分は何を聞いているか、客から自分が見える位置にいるか、言葉が慌てないできちっと発語できているか、声量は十分か…(数え上げたらさらに続いて限りなし)…その合間を縫って、自分の感情=役の感情がどう動いていくかを見守りながらコントロールしていく。私はある頃から、劇はもっと意識のダンスであっていい、と思うようになってきました。転形劇場の舞台でも、「やじるし」で私が演じた<笑い男>のシーンなどはそうだったように思うのですが、それをもっと意識的に押し進めてみたい。それを一つの目標にして書いたのが今回の「水の花」です。自分でも稽古が楽しみで、怖くて、今からワクワクしております。

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牛・豚・鶏

前回の同時進行はすべて芝居の仕事でしたが、これに毎日のビフォー・ナインの仕事がからまります。某大手スーパーマーケットの朝の品出し作業なのですが、9時の開店時間に間に合うように、トラックで運ばれてきた商品を売場に陳列するわけです。最近、肉の売場の担当になったものですから、毎朝毎朝、牛・豚・鶏の肉と格闘しているわけです。

オーストラリア産牛・豚ミンチ100g単価99円の400gパック、250gパック、100gパック…国産牛・豚ミンチ100g単価128円300gパック、200gパック、100gパック…ほとんど見た目は変わらないのに単価が違っていたりして、けっこう気を使うのですが、それにしても、いったいこれだけの肉のために何頭の牛や豚や鶏が処理されていることか…肉の塊が入っていた運搬用の幌つき台車に首を突っ込むと、オッ獣クサっ…その瞬間、初めてヨーロッパに行って、肉屋に入った時の印象がワッと蘇って…

日本の肉屋は上品というか、うまくその辺を隠しているというか…あちらの肉屋は締められた鳥が天井から吊るされていたりして、匂いも生臭ければ光景もなまめかしくて、いやでも俺たちは獣の命を奪っているんだという感じがゴロッとあって、狩猟民族なんだよなあ…と感じていたのですが…

さっき女房が買い物をして帰ってきて、私が買い物袋から冷蔵庫にしまったのですが、グラム99円の牛豚ミンチ400gパックがひとつ、今朝、私が陳列したパックでありました。ありがたく食させていただきます。

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同時進行

今年一番の山場は9月9日~14日のU・フィールド公演「水の花」であることは間違いありません。さあ、それに向かって集中!…と、いきたいところですが、来年一月末に再出発公演が決まった横浜青葉区の小・中・高生ミュージカルの準備が始まっており、なんといっても制作者がいない集まりですから、スタッフの人集めから私自身も動かなくてはいけないし、また4月から新学期がスタートし、去年までの戯曲演習に、新しく身体論ワークショップなる授業がプラスされ、学生との出会いが広がるのはそれで楽しいものの、準備は2倍かかるし、一昔前の自分だったら、とうに爆発しているだろう忙しさなのに、最近はどうも忙しい中で人と会うのが楽しみになってきていて、それが創作にも刺激を与えてくれているようなので…それにしても目が回る。

U・フィールドの目下の仕事はチラシ作り。表のデザインが出来上がってきたので、今日は裏面に載る文章などを考えなければいけなかったのに、つい昨日あった授業のことを考えたり、三月の末にあった、ミュージカルのワークショップメンバーによる小公演のことを思ったり…そこでね、こんど6年生になった女の子が初めてソロで歌ったんですよ。それが嬉しいビックリでね、いいのですよね、「へえー!」初めて練習で彼女のソロを聞いたときは、正直驚きました。3年生の時から知っている彼女ですが、歌は合唱でしか聞いてなかったからなあ…このワークショップを企画して実現してくださっている、かめおかさんに大感謝です。その小公演、仕事が重なっていて見に行けなかったので、今日、いただいたDVDを見てみたのです。「つながる つながる すべては つながる…」(かめおかゆみこ詞・金子忍作曲)…声は伸びやかで、ふくよかな響きがあって…彼女の歌声はやはり最近の新発見、来年のミュージカルの楽しみが一つ増えました。

さて、チラシの文章、あしたこそ、と念じつつ、今日はそろそろおやすみなさい。

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あの日夢見たもの

今年からまた、横浜・青葉区の小・中・高生ミュージカルが再開することになりました。上演は来年の一月末。それに向かって着々と準備が始まりつつあります。

あの日 心の翼 はばたかせ                       限りない希望 胸に抱いて                          彼方を目指し 舞い上がる                          けれどもいつか 翼折れ 力尽き                      深く沈んだ 闇の底

何もかも 信じられずに                            心の扉 固く閉ざして                              あの日夢見たものも忘れて

ある日 闇の底から 見上げれば                      はるか彼方に かすかな光                          忘れた思い 蘇る                                耳を澄ませば 呼びかける 友の声                     凍った心 溶かしてく                              

勇気だし 今踏み出そう                            つながる心 見交わす目と目                         あの日夢見たものに向かって

これは第一回青葉区小・中・高生ミュージカル『手古奈』のエンディングに作られ、今では青葉ミュージカルのテーマソングとなっている「あの日夢見たもの」(かめおかゆみこ・詞 金子忍・曲)の歌詞です。当時、私は舞台の演出に自信を失っていました。自分の書いた台本とうまく距離を置くことができなくなっていたのだと思います。それが市民ミュージカルの演出の仕事をいただき、とにかく生活のために少しでもお金をゲットしようと引き受けたのが、まさか再び演出を自分の仕事として引き受け直すきっかけになろうとは、当時の私には想像もできない未来図でした。

バブルがはじけたあおりを食って、20年続いた築地魚市場でのアルバイトを失い、演劇ワークショップを立ち上げたものの生徒さんはなかなか集まらず、正直言って五里霧中、金はなくなる一方で、稼ぎは細々…そんな私の心に、この歌はしみとおったのです…

ミュージカル(演劇の舞台)を経験すると、子どもたちは変わります。本当に変わります。人前では物が言えなかった子が、終わったあとの解散会では、時間をかけてでも自分の思っていることをなんとか伝えようとします。中にはホワイトボードに絵だか図だかを描いた生徒(当時小4か5)もいました。小さい丸と大きい丸。小さい丸はミュージカルをやる前の自分で、大きい丸が今の自分だと言い切りました。言葉は訥々としていましたが、目は輝いていたのを鮮明に覚えています。そして変わったのは生徒だけではありません、私自身もずいぶん変わりました。演出に自信を失っていたのはとうの昔になりました。それでもこの歌を聴くと、今でも胸が熱くなります。また多くの生徒たちがこの歌を歌いながら、一つの節目を経験していくでしょう。そして私も、さらにこれからどんなふうに変わっていくんだろう…

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